2023年3月7日火曜日

早すぎた移植ゲームたち~アーケードから最速で家庭用へ~

アーケードから家庭用への移植は、通例半年~1年くらいはかかるものと思う。家庭用に作り直す必要があるし、アーケードゲームとして遊んでもらう旬の期間もあるからだ。

しかし、時に驚くべき速さで移植がなされることもある。

マリオブラザーズ

アーケード:1983年7月14日


ファミコン:1983年9月9日


アーケードの稼働から2ヶ月と空いていない移植。あまりに早すぎる。カセットの生産にかかる時間を考えると同時に開発していたと考えるのが自然か。
ついこの間ゲームセンターで稼働し始めたゲームがもう家で遊べる・・・移植具合も良好で、一部の要素は削られているが最大のフィーチャーである2人同時プレイはしっかり移植されている・・・当時のユーザーの驚きはいかばかりだったろうか。

ファンタジーゾーン

アーケード:1986年3月


セガ・マークⅢ:1986年6月15日

約3ヶ月での移植。一部ボスは差し替えられたが発売時期を考えると素晴らしい移植具合。遊びやすくなる裏技も搭載された。ボスのBGMはこっちのほうが凄みがある。


ワンダーボーイ モンスターランド(ビックリマンワールド)

アーケード:1987年8月


PCエンジン:1987年10月30日

2ヶ月ちょい?での移植。これまで紹介した2作は明確にアーケードと家庭用に差があったが、こちらはキャラは置き換えられているものの、BGM、グラフィック、システム、操作性などほぼアーケードにかなり近いところまで達成されている。個人的には特異点に位置するゲームだと考えている。なぜこの早さでここまでの移植ができたのか知りたいところだが、岩崎啓眞氏あたりに期待するしかないだろうか?

2023年3月6日月曜日

内藤寛のドラゴンクエスト暴露本

ドラクエ3、ドラクエ4のチーフプログラマー、内藤寛。

 Wikipediaの「内藤寛」の記事を見てみると、ドラクエシリーズの内幕を明かした著書を出版予定だったがエニックスからの申し入れですべて処分されたという驚愕の情報がある。そして出版社の元常務の著書に書影が掲載されているとも・・・

以前はこんな記述は無かったと思い履歴を見てみると、今年の2月2日にIPユーザー133.106.56.22によって書きこまれたことがわかる。


133.106.56.22は他にもいくつか記事を更新しており、かなり詳しい人物のようだ。

早速現物を取り寄せてみた。


そして冒頭にも掲載したが、これが問題の書影だ。

タイトルは「ドラゴンクエストⅣの秘密」。
帯に「これ以上はもう言えない! チーフプログラマーだからこそ明かせるドラクエ・ワールド」というコピーが見える。

写真がないと与太話で終わってしまいそうだが、しっかり写真が掲載されていることで話の生々しさが急激に高まる。

ドラクエ本に関する部分の文章を引用してみよう。
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問5 会社にとって都合悪い本が出版されそうになったら?
答 簡単である。現金を積めばよい。

「路線価全図の怪」とともに、飛鳥新社および土井の体質を如実に物語るような、忘れ難い事件がある。「ドラゴンクエスト騒動」とでも名づけておこうか。89年1月のことだ。
 発端は、かの有名なTVゲーム、『ドラゴンクエストⅣ』を担当したプログラマーが、ソフト会社のエニックスを退社するに当たり、その内幕を本にしないかとの話が舞い込んできたことにあった。いけると判断したわれわれは、神林を編集担当に、早速制作を開始することにした。
 仕事は順調に進んで、配本Ⅰ週間前、まもなく見本ができあがるという矢先のこと。当のエニックスより電話が入った。
「著作権侵害の疑いがある。やめてくれないか」
 またしてもである。すったもんだの交渉が続いたあげく、ついに土井が言った。
「わかった。3千万払えばやめてやる」
 この数字は、10万部売れればそのくらいの利益は出るだろうと、わりと大雑把に設定したものだった。と、なんと翌日になって、飛鳥新社の口座に3千万が振り込まれてきたのだ。その当日、エニックスの社長自らが飛鳥新社に出向いてきた。内密の覚書をつくり、それに判を押せという。覚書によれば、できあがっている商品はすべてエニックスに引き渡すこと。フィルムや電算写植のデータ、デザインも一切合切残さないとなっていた。
「わかりました」
 われわれは条件を呑み、手打ちした。私の奔走がはじまったのは、実はここからだった。
 エニックスの倉庫に、飛鳥新社が引き渡した本は2万部。エニックスにも、そして著者にも、初版は2万部と伝えてあったからだ。ところが、実際に印刷したのは3万部だったのだ。これはいったい、なにを意味するのか?部数を過少申告する。つまり、早い話が印税のごまかしである。
 そんな姑息な手段を弄する出版社はめったにあるまい。出版社の名誉のためにも私はそう言っておく。しかしわが飛鳥新社では、残念ながら、それが現実だったのだ。

<中略>

話を戻そう。我々の手元には差し引き1万部のドラクエ本が残った。これをどうするか?土井は言った。
「ウーさん(土井は私をこう呼んでいた)、きっちり処分してくれよ。出てきたらまずいんだ」
「わかりました」
 私は前日から旅館に泊りがけで、静岡県吉原市の製紙メーカーへ出向いていった。そして事前に手配しておいた4トントラックで、1万部の本を予備も残さずすべて、印刷所の中央精版からここへ運び込ませた。2トン車でも積めないことはなかったのだが、事故など不測の事態に備えて大きな車にしたのだ。
 本は、全部煮つぶした。1冊1冊カバーをはがしながら釜に放り込んでいった。10人ほどの職人さんに混じって、私も汗ビショビショになって手伝った。煮つぶしたものは古紙という形で製紙原料になる。「ありがとうございました」と、メーカーはその代金を支払おうとする。私は首を振って、
「領収書はもっておりません。これはそういうものを受け取れる筋合いのものではないので、これで失礼します」
 とだけ言って帰ってきた。申し訳ないと思ったのだろう。後日、そのメーカーから1メートル四方の段ボールが10箱、飛鳥新社に届けられた。中にはトイレットペーパーがぎっしり。1箱で1年分は優にあっただろう。
「みんな、早く宅急便で家にもって帰れ」
 と、編集部一同に分配した。幻のドラクエ本はトイレットペーパーと化したのだった。
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いやー恐ろしい。89年1月は、ドラクエ4完成後のことだから90年1月の間違いだろうが、それはともかく、このレベルの話が表に出ることは滅多にないのではないか。
エニックスのある意味剛腕とも言えるやり方。ハイスコアがドラクエ2の攻略ページをごっそり抜いて発行させられたのを思い出す。
著者の内山幹雄氏は当時古巣の飛鳥新社と係争中であり、その一手として出したのが「『磯野家』のあとしまつ」のようだ。いわば、暴露本の中に暴露本の情報が書かれたことになる。内輪もめの材料になったがゆえにこんな闇の情報が表に出たわけだ。
内山氏はこの後どうなったのか、検索しても情報が出てこず、杳として消息が知れない。

暴露本と書いたが、実際にはどんな中身だったかわからないので暴露とは断言できない。こんな事件を起こしてもその後普通に業界で活躍できていたあたり、意外とゲーム業界は健全なのかもしれない。

ダイの大冒険→キテレツ大百科(藤田淑子)へのオマージュ?

ダイの大冒険を読み返していて一つのセリフが目に止まった。 「ゴメちゃん・・・! さよならは 言わないよ・・・」 (第335話「世界が輝く時」の巻より) これは・・・キテレツ大百科の最終回のセリフによく似ている! 「コロ助、さよならは言わないからね!」 (第331話(最終話)「愛の...