このさきがけになったのは
勝鹿北星だろうか。
この人は一応正体が明らかになっていて、きむらはじめ、ラデック鯨井等の名義でも活動していたとされている。
マスターキートンは立ち上げのみで、後半のほとんどの話は長崎と浦沢が考えていたとしているが果たして・・・
このネーミングが気に入ったのか、
長崎尚志が後に用いた名義が
東周斎雅楽(イリヤッド等)※東洲斎写楽のもじり
江戸川啓視(プルンギル等)※エドガー・ケーシーのもじり
である。
他、気になっているが正体不明なのが、
ラーメン発見伝などの
久部緑郎
である。
間久部緑郎のもじりなのだろうが、ふざけた名前だ。
パーソナルな情報が出ていないので正体についてはなんとも言えない。
現在もグランドジャンプで連載を持っている様子。
(こちらは集英社なので小学館専属では無くなったか)
正体不明の原作者といえば、夜光虫などの柿沼宏も思い出されるが、こちらはその専門性の高さから実際の医師だった可能性が考えられる。
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